20代の頃もシンガーソングライターになることを夢見て、音楽活動をしていました。
学生時代、音痴過ぎて音楽の授業で歌うたびに笑われ、ある日ボイトレの体験に行けば「才能がないとは言わないけど、、、」と呆れられ、またある日、喉を痛めて病院に行けば「声帯が歌に向いてない」と言われて、それでも歌が好きだと言う気持ちは消えませんでした。
本格的に音楽活動をしようと思い、神奈川県にある音楽スクールに通いながら、ストリートライブをしていましたが、誰も立ち止まってくれず、やっと止まってくれたと思ったらギターケースにゴミを捨てられて「ヘタクソっ!!お前のは歌じゃねんだよ!」と散々罵られました。
作曲も23歳で本格的に始めて、最初はただのお経。文章にメロディをつけるだけでどこがサビなのかまったくわからない。
音楽スクールの先生にはとても苦労をかけました。ギターもまったくリズムが取れず何時間もひたすらまったく同じ4つのコードを弾き続けたこともありました。一軒家を改造した個人のスクールなので、お金や時間関係なく情熱だけで指導してくれました。作詞作曲やギターが弾けるようになったのは小沢彰敏先生がいたからでした。
その頃の僕は音楽では生活できないので、バイトしていた飲食店はブラック企業。繁忙店にもかかわらず、人手不足、食器不足、本社の人は忙しい土日に来て「暇やから遊びに来たわ」。入って2週間で辞めたいと思った。
でももっとできるはず、自分の能力がないだけだから逃げちゃダメだ、抜けたら店が回らなくなる、と4年間続けました。
人がいないので残業ばかり、家に帰れば疲れ果て、音楽ができない日も少なくありませんでした。
若かったので逃げることを知りませんでした。逃げるというか、音楽のことを考えればやめることが戦うことだったのに。
結局、限界が来てやめてもお店は何事もなく回っていました。
プライベートでもたくさんの辛い出来事がありました。
最終的には心も体も動かなくなり、実家に帰らざるを得なくなりました。4ヶ月間、昼夜逆転の生活で「消えたい」と毎日つぶやいていました。自分はもう笑えることはないのかもしれないと思いました。僕の姿を見て、母や当時、高校生だった弟は涙を流しました。
それから僕はこの人生を楽しもうと決めました。何があっても笑ってやろうと決めました。沖縄に来たのも自分が一番心から行きたい場所だったから。心の中のワクワクに従う。自分が笑っていることで、誰かを笑顔にすることができる。
まずは自分が幸せにならなければ、誰かを幸せにすることなんてできません。
日本は社会人になるための教育が色濃く、協調性を重んじる風潮がまだまだ残っています。もちろん素晴らしい面もありますが、それによって自分らしく生きていきづらい環境があります。
でも本当はまず自分が幸せになることで、純粋に誰かの幸せを願えるようになるんです。
順番が逆なんです。
だから僕は人からあーだこーだ言われても、何があっても笑顔に変えて、どんな悲しみも希望に変えて、すべての痛みを光に変えて、
そんな歌を作って歌っていきます。
その最初の曲が「素晴らしい世界」
コロナや台風で二度の延期となったYouTube Live。でもそんなこと大したことじゃありません。
今日までのすべてを希望に変える力が僕たちにはあるから。
僕の姿、音楽を通して少しでも元気や勇気、生きる希望を感じて笑顔になってもらえたら、それが僕にとっての幸せです。一人でも多くの人に笑っていてもらいたいし、悲しい思いをしないでほしい。
みんなの人生を応援したい。
それが僕の「自分の生き方」です。
9月27日(日)夜9時から!
ゴリ、YouTube Liveします‼️
最高なライブにします!
インスタプロフからYouTubeに飛べるのでぜひ、チャンネル登録してお待ち下さいね😁☀️
長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました♫
#沖縄#okinawa#シンガーソングライター#ゴリ#ゴリスト#自分の生き方#自分らしさ#笑顔#ワクワク#無観客ライブ#人生#素晴らしい世界#生き方#まずはあなたが幸せになって#生きることと笑うことに理由や価値はいらない#とりあえず笑え#話はそれから
20代の頃もシンガーソングライターになることを夢見て、音楽活動をしていました。
学生時代、音痴過ぎて音楽の授業で歌うたびに笑われ、ある日ボイトレの体験に行けば「才能がないとは言わないけど、、、」と呆れられ、またある日、喉を痛めて病院に行けば「声帯が歌に向いてない」と言われて、それでも歌が好きだと言う気持ちは消えませんでした。
本格的に音楽活動をしようと思い、神奈川県にある音楽スクールに通いながら、ストリートライブをしていましたが、誰も立ち止まってくれず、やっと止まってくれたと思ったらギターケースにゴミを捨てられて「ヘタクソっ!!お前のは歌じゃねんだよ!」と散々罵られました。
作曲も23歳で本格的に始めて、最初はただのお経。文章にメロディをつけるだけでどこがサビなのかまったくわからない。
音楽スクールの先生にはとても苦労をかけました。ギターもまったくリズムが取れず何時間もひたすらまったく同じ4つのコードを弾き続けたこともありました。一軒家を改造した個人のスクールなので、お金や時間関係なく情熱だけで指導してくれました。作詞作曲やギターが弾けるようになったのは小沢彰敏先生がいたからでした。
その頃の僕は音楽では生活できないので、バイトしていた飲食店はブラック企業。繁忙店にもかかわらず、人手不足、食器不足、本社の人は忙しい土日に来て「暇やから遊びに来たわ」。入って2週間で辞めたいと思った。
でももっとできるはず、自分の能力がないだけだから逃げちゃダメだ、抜けたら店が回らなくなる、と4年間続けました。
人がいないので残業ばかり、家に帰れば疲れ果て、音楽ができない日も少なくありませんでした。
若かったので逃げることを知りませんでした。逃げるというか、音楽のことを考えればやめることが戦うことだったのに。
結局、限界が来てやめてもお店は何事もなく回っていました。
プライベートでもたくさんの辛い出来事がありました。
最終的には心も体も動かなくなり、実家に帰らざるを得なくなりました。4ヶ月間、昼夜逆転の生活で「消えたい」と毎日つぶやいていました。自分はもう笑えることはないのかもしれないと思いました。僕の姿を見て、母や当時、高校生だった弟は涙を流しました。
それから僕はこの人生を楽しもうと決めました。何があっても笑ってやろうと決めました。沖縄に来たのも自分が一番心から行きたい場所だったから。心の中のワクワクに従う。自分が笑っていることで、誰かを笑顔にすることができる。
まずは自分が幸せにならなければ、誰かを幸せにすることなんてできません。
日本は社会人になるための教育が色濃く、協調性を重んじる風潮がまだまだ残っています。もちろん素晴らしい面もありますが、それによって自分らしく生きていきづらい環境があります。
でも本当はまず自分が幸せになることで、純粋に誰かの幸せを願えるようになるんです。
順番が逆なんです。
だから僕は人からあーだこーだ言われても、何があっても笑顔に変えて、どんな悲しみも希望に変えて、すべての痛みを光に変えて、
そんな歌を作って歌っていきます。
その最初の曲が「素晴らしい世界」
コロナや台風で二度の延期となったYouTube Live。でもそんなこと大したことじゃありません。
今日までのすべてを希望に変える力が僕たちにはあるから。
僕の姿、音楽を通して少しでも元気や勇気、生きる希望を感じて笑顔になってもらえたら、それが僕にとっての幸せです。一人でも多くの人に笑っていてもらいたいし、悲しい思いをしないでほしい。
みんなの人生を応援したい。
それが僕の「自分の生き方」です。
9月27日(日)夜9時から!
ゴリ、YouTube Liveします‼️
最高なライブにします!
インスタプロフからYouTubeに飛べるのでぜひ、チャンネル登録してお待ち下さいね😁☀️
長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました♫
#沖縄#okinawa#シンガーソングライター#ゴリ#ゴリスト#自分の生き方#自分らしさ#笑顔#ワクワク#無観客ライブ#人生#素晴らしい世界#生き方#まずはあなたが幸せになって#生きることと笑うことに理由や価値はいらない#とりあえず笑え#話はそれから
20代の頃もシンガーソングライターになることを夢見て、音楽活動をしていました。
学生時代、音痴過ぎて音楽の授業で歌うたびに笑われ、ある日ボイトレの体験に行けば「才能がないとは言わないけど、、、」と呆れられ、またある日、喉を痛めて病院に行けば「声帯が歌に向いてない」と言われて、それでも歌が好きだと言う気持ちは消えませんでした。
本格的に音楽活動をしようと思い、神奈川県にある音楽スクールに通いながら、ストリートライブをしていましたが、誰も立ち止まってくれず、やっと止まってくれたと思ったらギターケースにゴミを捨てられて「ヘタクソっ!!お前のは歌じゃねんだよ!」と散々罵られました。
作曲も23歳で本格的に始めて、最初はただのお経。文章にメロディをつけるだけでどこがサビなのかまったくわからない。
音楽スクールの先生にはとても苦労をかけました。ギターもまったくリズムが取れず何時間もひたすらまったく同じ4つのコードを弾き続けたこともありました。一軒家を改造した個人のスクールなので、お金や時間関係なく情熱だけで指導してくれました。作詞作曲やギターが弾けるようになったのは小沢彰敏先生がいたからでした。
その頃の僕は音楽では生活できないので、バイトしていた飲食店はブラック企業。繁忙店にもかかわらず、人手不足、食器不足、本社の人は忙しい土日に来て「暇やから遊びに来たわ」。入って2週間で辞めたいと思った。
でももっとできるはず、自分の能力がないだけだから逃げちゃダメだ、抜けたら店が回らなくなる、と4年間続けました。
人がいないので残業ばかり、家に帰れば疲れ果て、音楽ができない日も少なくありませんでした。
若かったので逃げることを知りませんでした。逃げるというか、音楽のことを考えればやめることが戦うことだったのに。
結局、限界が来てやめてもお店は何事もなく回っていました。
プライベートでもたくさんの辛い出来事がありました。
最終的には心も体も動かなくなり、実家に帰らざるを得なくなりました。4ヶ月間、昼夜逆転の生活で「消えたい」と毎日つぶやいていました。自分はもう笑えることはないのかもしれないと思いました。僕の姿を見て、母や当時、高校生だった弟は涙を流しました。
それから僕はこの人生を楽しもうと決めました。何があっても笑ってやろうと決めました。沖縄に来たのも自分が一番心から行きたい場所だったから。心の中のワクワクに従う。自分が笑っていることで、誰かを笑顔にすることができる。
まずは自分が幸せにならなければ、誰かを幸せにすることなんてできません。
日本は社会人になるための教育が色濃く、協調性を重んじる風潮がまだまだ残っています。もちろん素晴らしい面もありますが、それによって自分らしく生きていきづらい環境があります。
でも本当はまず自分が幸せになることで、純粋に誰かの幸せを願えるようになるんです。
順番が逆なんです。
だから僕は人からあーだこーだ言われても、何があっても笑顔に変えて、どんな悲しみも希望に変えて、すべての痛みを光に変えて、
そんな歌を作って歌っていきます。
その最初の曲が「素晴らしい世界」
コロナや台風で二度の延期となったYouTube Live。でもそんなこと大したことじゃありません。
今日までのすべてを希望に変える力が僕たちにはあるから。
僕の姿、音楽を通して少しでも元気や勇気、生きる希望を感じて笑顔になってもらえたら、それが僕にとっての幸せです。一人でも多くの人に笑っていてもらいたいし、悲しい思いをしないでほしい。
みんなの人生を応援したい。
それが僕の「自分の生き方」です。
9月27日(日)夜9時から!
ゴリ、YouTube Liveします‼️
最高なライブにします!
インスタプロフからYouTubeに飛べるのでぜひ、チャンネル登録してお待ち下さいね😁☀️
長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました♫
#沖縄#okinawa#シンガーソングライター#ゴリ#ゴリスト#自分の生き方#自分らしさ#笑顔#ワクワク#無観客ライブ#人生#素晴らしい世界#生き方#まずはあなたが幸せになって#生きることと笑うことに理由や価値はいらない#とりあえず笑え#話はそれから
ゴリ 9.27配信ライブの投稿動画を楽しみましょう!#TikTok https://t.co/kFojWg56Q7
ゴリYouTube Liveは新たな台風“台風10号”接近の為、9月27日(日)夜9時からに再延期となりました。よろしくお願い致します。
ゴリ 9.6配信ライブの投稿動画を楽しみましょう!#TikTok https://t.co/vUxQaI7Ovf
8月31日開催予定だった、ゴリ無観客配信ライブ『灼熱のアコースティックロックLIVE!!!2020』は台風の影響により、9月6日(日)夜8時からに変更となりました。
よろしくお願いいたします。